「ルールはルール」じゃなかったっけ。
先日の大阪で唯一不快に感じた出来事があった。
初日にホテルに向かうため大阪駅で乗り換えるときにエスカレーターを下っているときに、後ろから来たオッサンから罵声を浴びせられたこと。
もうちょっと汚い言葉で言い返せばよかったと後悔もありつつ、これから楽しい時間を過ごそうっていうタイミングでもあって無用なトラブルは避けたかった。
コロナ対策禍の罪
こういうことを言うと変な目で見られることもあるかもしれないが、はっきり断言しなきゃいけない。「マスクは意味がない」。
この場でわざわざ根拠までは書かないが、意味がないマスク1枚のために「マスクをしなけりゃ入っちゃいけない」みたいなあくまで独自のローカルルールが罷り通ってしまった。
僕の認識では、マスク着用が公的にルール化されたことは一度もない。あくまで推奨のはずだ。
マスクメーカーすら感染を防ぐ効果はないと言っているのに、ここまでマスク着用を求めることが徹底されたのは、ルールではなくただの空気だったと思う。
空気ごときで「自由意思」に干渉してしまう社会は危ういと思ったから、僕はコロナ禍において極力素顔で生活していた。
もともと強靭なメンタルを持っているわけでもなく、素顔で生活するだけのことがどれだけ困難なことだったか、この気持ちを共有できる人は多くないだろう。
エスカレーター片側通行の罪
マスクと似たような問題としてエスカレーターの片側通行がある。
こちらは、マスクとはうって変わって多くの場所で「エスカレーターは立ち止まって乗りましょう」という張り紙があったり、アナウンスが流れている場所もあるぐらいには、ローカルルールの枠に収まらないルールがある。
それにもかかわらず、99%の人間が「ルールはルール」とマスクを着けていたはずなのに、ことエスカレーターともなるとそこにルールが介入することはできない。
それはなぜか。
「追い越し車線」を歩いてくる人に対して道を塞いでいるというありもしない重圧に抗えないからである。
マスクを外していた僕はどうか。
駅では正直耐えられない。
それ以外の場所であれば然程気にせずに左右どちらの側にも立てる。
そもそも片側通行っていうのは、エスカレーターにおいてはみんなで少しずつ損をする乗り方なので、そこは同意が欲しい。
というのも、
・故障の原因に直結する
片側に負荷がかかり続けることで製品寿命を縮めてしまう。エスカレーターへの「思いやり」は真ん中に乗ることが好ましいのではと思っている。
・歩くことで事故が生まれる
エスカレーター上での接触は事故につながる。
しっかり片方に寄っているつもりでも荷物があったり、寒い時期に着ぶくれしていたりで、そうそう接触は避けられない。
下り方向で万が一が起きた場合、絶望的な事故が起こるのは目に見えている。ヒヤリハットどころではない。
知人の例を出すと、左腕に大きな怪我をしてしまってモノを力強く握ることができないので、右側の手すりに摑まる必要がある。
手すりに摑まるのは文字通り危ないからで、別に誰かの道をふさいでいるわけでもなく、むしろついでにルールを守っているに過ぎない。
大げさかもしれないが、そういった個々の事情が空気ひとつで考慮されない社会になってしまう。
・片側に寄るために行列が生まれる
両側にすっと並べばスムーズなのに、空気に支配されて片側に寄ろうとすると、そこに無駄な行列が生まれる。
そして無駄な行列は人流を妨げることにもつながる。
見上げてごらん。片側はガラガラだよ。
空港のエスカレーターで日本人らしい馬鹿馬鹿しい光景を見た。
— 藤川賢治 (FUJIKAWA Kenji) @ 医療統計情報通信研究所 (@hudikaha) 2022年4月30日
左側にだけ長蛇の列。
右側のエスカレーター上ぽつぽつと
「立ち止まっている人」
キャリーケース持ってる人多いからね。
誰にとっても有害なのに自他の利益になると信じ込み、そうでなくても空気に従う。
マスクやワクチンと同じ。
そこに「意味」はなく、空気に流されているだけなのである。
・急いでいるから
知らんよ。そんなことは。「階段空いてますよ」と。
どうして急がなきゃいけなくなったのか。それは自身の問題でしかない。
朝、忙しいなら「早起きしましょうよ」と。
そして、重ねて申しあげたい。「ルールですよ」と。
何が言いたいかって言うと
ルールだろうが空気だろうが、一貫性は必要だよねってこと。
マスク一枚で他人の権利、自由に制限をかけておきながら、エスカレーターの「二列で立ち止まって利用する」ルールひとつも守れない人間に、「ルールはルール」なんて言葉を使う権利も資格もない